団体と⿻公衆

フランスの貴族で旅行家のアレクシ・ド・トクヴィルは、著書『アメリカの民主主義』の中で、アメリカの自治における市民団体の中心性を強調した。「アメリカの知的および道徳的団体ほど(中略)注目に値するものはない」。さらに、個人は平等になったので、もはやひとりだけでは大規模な行動は起こせない。したがって政治活動と社会の改善にはそうした市民団体が必須だと彼は信じていた。「人々が文明的であり続けるためには(中略)条件の平等性が高まるのと同じくらい、団結する技術の成長向上が必要である」

いかなる個人も、単独では政治的、社会的、経済的変化を成し遂げられない。政党、市民団体、労働組合、企業を通じた集団的努力は常に必要だ。⿻にとって、これらの団体やその他のあまり公式ではない社会集団は、個人と同じくらい社会構造の基本となる。この意味で、団体(アソシエーション)は最も基本的な権利の面で、個人性の陽に対する陰であり、同じ理由で暴君の天敵でもある。再びド・トクヴィルの言葉を引用すると、「人間の心の欠陥のうち、利己主義ほど専制主義に好都合なものはない。暴君は、臣民が自分を愛さなくても見逃す程度には鷹揚なのだ。彼らが互いに愛し合いさえしなければよい」。まともな主体性を持つ新しい団体を形成する能力を促進し、保護しないと、自由、自治、多様性など期待できるはずもない。

コンピュータとネットワークがそのような団体を促進できるというビジョンこそ、リックライダーとテイラーの論文「コミュニケーション装置としてのコンピュータ」の核心だった。「それらは共通の場所ではなく、共通の関心のコミュニティになるだろう」[1]。実際、本書執筆時点で、人気の英語辞書メリアム=ウェブスター辞典のオンライン版では、団体をまさに次のように定義している。「共通の関心を持つ人々の組織[2]」。こうした団体は共通の目標、信念、傾向を持つので、リックライダーとテイラーは、これらのコミュニティがデジタル以前の団体よりもはるかに多くを達成できると信じていた。彼らが予見した唯一の課題は、「『オンラインに行く』」のを「特権」ではなく「権利」にできるかということだった。もちろん今日の最も著名な政治運動や市民団体の多くがオンラインで結成されたり、最大の成功を収めたりしていることから見て、このビジョンは信じられないほど先見の明があったことが裏付けられる[3]

だが逆説的かもしれないが、インターネットの台頭は重要な意味において、自由な団体結成の中核的特徴のいくつかを脅かしている。リックライダーとテイラーが強調したように、団体やコミュニティを形成するには、その団体とその内部コミュニケーションの文脈を形成する、背景にある共通の信念、価値観、関心のまとまりを確立しなければならない。さらに、ジンメルとニッセンバウムが強調したように、この文脈を外部の監視から保護する必要もある。その団体へのコミュニケーションが部外者に監視されていると思われたら、そのコミュニケーションが想定外の人々に誤解されるのを恐れて、人々は共有コミュニティ環境を活用したがらないことも多い。

インターネットは、はるかに幅広い団体の可能性を実現する一方で、文脈の確立と保護を困難にする。情報が遠く、速く広がるにつれて、誰と話しているか、何を共有しているかがわかりにくくなる。さらに詮索好きな部外者によるスパイ行為や、団体メンバーによる意図された文脈の外での不適切な情報共有が、かつてないほど容易になっている。したがって、リックライダーとテイラーの夢を実現し、デジタル世界を団体が繁栄する世界とするには、情報のコンテキストを理解し、それをサポートして保護するシステムを構築しなければならない。

そこでここでは、団体に必要な情報に関する理論を概説しよう。次に、文脈の確立とその保護に役立ちそうな既存技術を説明する。次に、そうした技術を組み合わせて、プライバシーか公開かではなく、「⿻公衆」を実現する方法、つまり外部の監視から保護された、共通の理解に基づく多くの団体の繁栄を実現する方法、およびこれが他のデジタル権利をサポートするために非常に重要である理由について説明しよう。

団体

人はどのように「共通の関心を持つ人々の組織」を形成するのだろうか。明らかに、単に関心を共有する人々の寄せ集めでは不十分だろう。人々は関心を共有していても知り合いではないこともあるし、知り合いでも共通の関心を持っているとは知らないこともある。社会科学者やゲーム理論家が最近強調しているように、「組織」と呼ばれる集団行動には、「関心」、「信念」、または「目標」の共有についての、もっと強い概念が必要となる。こうした分野の専門用語では、必要な状態は彼らが「共有知識」と呼ぶものだ。

これはゲーム理論家にとってどんな意味を持つのか? なぜ信念を共有するだけでは効果的な共有行動の実現には不十分なのだろうか。たとえばたまたま共通の第二言語を話す人々が集まっていたとしよう。ただし、誰も他の人がその第二言語を話せるとは知らない。みんなの第一言語が違うので、当初はなかなかコミュニケーションがとれない。言語を知っているだけでは、あまり役に立たないのだ。他の人もその言語を知っているということを彼らは学ぶ必要がある。つまり、知識自体だけでなく、他の人が何かを知っているという「高次の」知識も必要なのだ[4]

集団行動におけるこのような高次の知識の重要性は、民間伝承にも取り入れられているほど有名だ。ハンス・クリスチャン・アンデルセンの古典童話『裸の王さま』では、詐欺師が王さまを騙して、高価な新しい服を織ったと信じ込ませるが、実際には王さまを裸にしてしまう。観客は王さまが裸なのがわかるが、それを口に出そうとしない。しかし、子供が笑ったことで、王さまが裸だということだけでなく、他の人もこの事実を理解しており、したがってそれを認めても安全だとわかるのだ。同様の効果は、さまざまな社会的、経済的、政治的な状況でよく見られる。

・銀行の取り付け騒ぎを止めるには、安心感を与える声明を目立つ形で行うことが必要だ。他の人が取り付けに走るなら、みんな自分も走らねばと思ってしまうからだ[5]

・「公然の秘密」である不正行為(性的不品行など)を告発すると、「#MeToo」運動のように他の人が「味方になってくれる」ことがわかり、告発が殺到する[6]

・公開の抗議運動は、不満があるのだという共通認識を生み出す。それが政治力につながり、国民が長い間反対してきた政府を倒せることもある[7]

数学的には、「共有知識」とは、あるグループの人々が何かを知っているだけでなく、全員がそれを知っていることも知っており、全員がそれを知っていることを知っていることも知っており、これが無限に続く状況として定義される。「共有信念」(信念の度合いで定量化されることが多い)とは、グループ全員が、全員がそれを信じていると信じていると信じている……このような共有信念が、上記のような「リスクのある集団行動」の状況で協調行動を行うための重要な前提条件だということが、ゲーム理論の分析で示されている。この状況では、十分な協調があれば個人は共通の目標を達成できるが、他人の支援なしに行動すると損害を被る[8]

集団の共有信念は、その平均的なメンバーに実際に共有されている信念と明らかに相関はしているが、概念的には別物だ。誰でも、グループ内のほぼ全員が個人的には同意していないのに、そのグループ内で何らかの「通念」または規範がしつこく続いた例を知っているはずだ。実際、経済学者J・K・ガルブレイスが「通念」というアイデアを生み出したのは、まさにこうした状況を念頭においてのことだ[9]。さらに、このコミュニティ概念は、事実に関する信念だけでなく、道徳的または意図的な信念にも当てはまる。コミュニティの「共有信念」(道徳的な意味で)は、他のみんなが道徳的原則として持っていると誰もが信じており、そして誰もが他の誰もがそれを信じていると他の誰もが……といった具合だ。同様に、「共通の目標」は、他のみんなが意図していると誰もが信じており、誰もが他のみんなが意図していると誰もが信じていると誰もが……というわけだ。このような「共有信念」と「共通の意図」は、しばしば「正統性」と呼ばれる、何が適切かという一般的に理解されている概念にとって重要である[10]

ゲーム理論では一般に、個人を意図/選好と信念の集合としてモデル化する。ここで述べたコミュニティ概念を使うと、集団を、それを構成する個人と同じようなやり方で、別物として把握できるようになる。共通の信念と意図は、その集団を構成する個人の信念や意図(の平均)と必ずしも同じではないからだ。集団の信念と目標は、その集団の共有信念と目標だ。この意味で、結社の自由は、共有信念と目標をつくる自由だと言える。しかし、結社だけでは不十分なのだ。前の章で、個人のアイデンティティ維持には秘密の保護が重要だと論じたが、同様に団体も監視から保護されねばならない。共有の信念が単なる全員の信念になってしまったら、その団体は独立の団体ではなくなってしまう。あらゆる秘密を暴露した個人が、守るべきアイデンティティを持たなくなることと同じだ。したがって、外部の監視や内部の過剰な共有からのプライバシーは、結社の自由の確立と同じくらい重要なのだ。

したがって、団体結社の自由と言って思い浮かぶ歴史的な技術や空間の多くが、まさに共有信念を実現し、部外者による外部の信念から共有信念を保護するものなのも当然だろう。オンラインの画像や政治哲学者の著作で「団体/結社の自由」を検索すると、通常、公共の場での抗議活動、公園や広場などの公共の場での集会、私的なクラブでのグループ討論のイメージが出てくる[11]。先述のように、集団の会合や集団メンバーの前での公式発言は、その集団内での共有信念と理解を実現するために不可欠なものだ。私的なパンフレットは個人の説得には使えるが、共有された観察が伴わないので、みんなの前での子供の笑い声のような共有された宣言とは違い、共有信念を生み出せないというのがゲーム理論家の主張となる。

しかし、純粋な公共空間には重要な制限がある。一般の人々の目から離れて集団が意見を形成したり、行動を調整したりできないということだ。このため、集団の結束、外部に統一された顔を見せたり、内部の状況を活用して効果的にコミュニケーションをとったりする能力が損なわれかねない。だからこそ、団体はメンバーだけに開かれた閉鎖された集会場所を設けることが多いのだ。集団の有効性と結束にとって重要な秘密性(ジンメルが強調したもの)を可能にするためだ[12]。ここから出てくる重要な問題がある。「関心を共有するコミュニティ」というすばらしい新世界に、保護された共有信念をいままでと同じくらい、いやそれ以上にうまく作成するというアフォーダンスを、ネットワークコミュニケーションシステムがどのように提供すればいいのか、というものだ。

文脈の確立

公園や広場は抗議や集団行動の場にもなる。だからデジタル公共広場が求められるのも当然だ。多くのプラットフォームは自分がこの役割を果たすと主張している[13]。当初のワールドワイドウェブ上のサイトは、さまざまな人々がメッセージを発信する空前の機会を提供した。しかしノーベル経済学賞受賞者ハーバート・サイモンの有名な発言にある[14]ように、情報の氾濫は関心の欠如を生み出す[15]。すぐに誰がどのようにオーディエンスにリーチしているのか、わかりにくくなった。そこでGoogleのような独占検索システムや、FacebookやTwitter(現X)のような独占SNSが、デジタル通信のプラットフォームとして好まれるようになった。デジタル公共広場は私的な場になってしまった。そしてこれらの企業は、ターゲット広告を通じてユーザーのやりとりを監視し、収益化している[16]

この問題に対処する取り組みが最近いくつか始まっている。ワールドワイドウェブコンソーシアム(W3C)は、クリスティン・レマー・ウェバーとジェシカ・タロンのActivityPub標準を、SNSのオープンプロトコル実現に向けた提言として公開した。これにより、Mastodonなどのオープンシステムが、Twitterに似た連合型の分散型サービスを世界中の何百万人もの人々に提供できるようになった。Twitterもこの問題を認識し、2019年にBlueSkyイニシアチブを開始した。これは、イーロン・マスクによるTwitter(現在は彼のリーダーシップの下でⅩ)の買収後に急速に注目を集めた。慈善家のフランク・マコートは、分散型ネットワークのためのブロックチェーンベースの基盤として、Project Liberty[17]とその分散型SNSプロトコル(DSNP)に多額の投資をしてきた。これらのうちどれが普及し、どのように統合されるかなどを正確に予測するのは困難だが、Ⅹの最近の苦戦とこの分野での活発な活動の多様性を組み合わせると、使いやすいデジタル出版物のためのオープンプロトコルへの協力と収束の可能性はある。

しかし、公共性はコミュニティや結社と決して同じではない。オンラインでの投稿は、公の抗議活動の開催というよりは、パンフレットの配布のようなものだ。投稿を見た人は、何人が同じ情報を消費しているか、それが誰なのかは知りようがなく、同じ情報に対する彼らの意見もなかなかわからない。投稿は人々の信念に影響を与えることはあっても、はっきりとした仲間集団内で共有信念を作り出すことは困難だ。投稿のバイラル性と注目度を強調する機能は多少役立つが、それでもメッセージをもとに聴衆を結束させることは、物理的な公共空間で人々を結束させるよりもはるかに粗雑になる。

近年、この課題に対処するための最も興味深い潜在的なソリューションのひとつは、ブロックチェーンなどの分散型台帳技術(DLT)だ。これらの技術は、情報の共有記録を維持する。そして追加する必要があるという「コンセンサス」(追加する項目に対する十分な共通の承認)がある場合にのみ、そこに何かを追加する。このため暗号学者やゲーム理論家は、DLTはそれが保存されているマシン間に共有信念を作り出すという、特別な可能性を秘めていると考えている[18]。こうしたシステムが新しい通貨などの社会的実験の調整に使われたのは、おそらくこれが理由だ。

しかしこうした機械間のコミュニティは、その機械を操作する人々のコミュニティそのものではない。この問題は(コミュニティづくりの観点からすると)、ブロックチェーンを維持するための金銭的インセンティブによって悪化する。金銭的利益を動機とするほとんどの参加者は、活動を直接監視するのではなく、「バリデータ(検証)」ソフトウェアを実行するだけなのだ。つまり共通の非営利活動に関心を持つ人ではなく、儲けを得たいだけの人々ばかりが参加することになってしまう。それでも、DLTが団体形成のための将来インフラの重要なコンポーネントになる見込みはあることを説明しよう。

文脈の保護

文脈確立とは主に、公開性というきわめて社会的な概念を生み出すということだ。これに対し文脈保護とは、プライバシーというきわめて社会的な概念を生み出すということである。そして公開性の技術と同様に、プライバシーの技術も、⿻社会性をサポートする技術よりも、主に一元論的アトム主義の方向で開発されてきた。

暗号学の分野は、情報を安全かつプライベートに送信する方法を長い間研究してきた。標準的な「公開鍵暗号」方式では、個人や組織が公開鍵を公開し、その管理用の鍵をプライベートに保持する。これにより、誰でもその人に暗号化されたメッセージを送信できる。このメッセージは、その人の秘密鍵でのみ復号できるのだ。また、鍵の管理者がメッセージに署名すれば、他の人がメッセージの信頼性を確認することもできる。このようなシステムは、インターネットやデジタル世界全体のセキュリティの基盤であり、電子メールをスパイから保護し、Signalなどのエンドツーエンドの暗号化メッセージングシステムやeコマースを可能にする。

この基盤から派生して、最近では強力なプライバシー強化技術(PET)が数多く開発されている。たとえば以下のようなものだ。

ゼロ知識証明(ZKP):基礎となるデータを漏らすことなく、ある事実を確実に証明できる。たとえば、特定の年齢を超えていることを証明するために、その主張の根拠となる運転免許証の全情報を提示しなくてすむ。

セキュアなマルチパーティ計算(SMPC)と準同型暗号化:これらを使うと、人々がそれぞれ部分的に所有するデータを含むような計算でも、そのデータ自体を他の人に公開することなく実行できて、しかもそのプロセスを自分自身と他の人の両方が検証できる。たとえば、選挙結果を安全に検証しつつ、秘密投票を維持できる[19]

・偽造も否定もできない署名:これを使うと、鍵の所有者は、鍵にアクセスしなければ偽造できない、または鍵が盗まれた場合以外には否定できない方法で文書に署名できる[20]。たとえば、(スマート)契約を締結する当事者は、このようなデジタル署名を要求できる。これは偽造と否認が困難な物理的な署名が、アナログ契約にとって重要なのと同じだ。

秘密計算:右記と同様の問題に対するこのソリューションは、暗号への依存度が低く、代わりに情報漏洩に対するさまざまな物理的障害を持つ「エアギャップ」デジタルシステムで同様の目標を達成する。

差分プライバシー:これは、計算の出力を開示したことで、計算に入力された機密情報が意図せず漏洩する可能性を測定する[21]。技術者は、通常は開示にノイズを追加することで、このような漏洩を絶対に発生させない手法を開発した。たとえば、米国国勢調査局は、公共政策策定向けの概要統計公開と、ソースデータの機密保持の両方を法的に義務付けられているが、最近になって、差分プライバシーを保証するメカニズムを使用してこれらを両立させた。

連合学習:連合学習は、基本的なプライバシー技術というよりは、他の技術の洗練された応用と組み合わせであり、物理的に分散した場所にあるデータに対して大規模な機械学習モデルを訓練および評価する方法となる[22]

暗号に大きく依存するこれらの技術(特に最初の3つ)には、2つの基本的な制限があることを認識する必要がある。これらの技術には2つの重要な前提があるのだ。ひとつ目は、鍵は目的の人物が所有していなければならない。これは、前の節で説明したIDとその回復の問題に密接に関連する。2つ目は、現在使用されているほぼすべての暗号は、量子コンピュータの出現によって破られ、多くの場合、その保証が無効になる。ただし、量子耐性スキームの開発は活発に研究されている。

さらに、これらの技術的ソリューションは、プライバシーをサポートするさまざまな技術標準や公共政策とますます交差し、統合されつつある。たとえば政府設定の暗号標準、EUの一般データ保護規則(GDPR)や暗号の相互運用性に関する標準などのプライバシー規制や権利などだ。

しかし、こうした研究のほとんどすべてに共通する基本的な限界は、内部の過剰な情報共有よりも、外部の監視からの通信保護に重点を置いていることだ。外部からののぞき見を防ぐのは明らかに第一の防衛線だが、米国国家安全保障局(NSA)のリーク犯であるエドワード・スノーデンの事件を追った人ならわかるとおり、内部のスパイや情報漏洩も、情報セキュリティに対するきわめて重要な脅威のひとつなのだ。軍事情報が最も劇的な例だが、特にインターネット時代においては、この点はさらに広がる。ますます一般的になっているフィッシング攻撃は、攻撃者の「コード解読」能力ではなく、ソーシャルエンジニアリングに依存している。ダナ・ボイドの古典的な研究『つながりっぱなしの日常を生きる ソーシャルメディアが若者にもたらしたもの』からデイブ・エガーズの書籍および映画『ザ・サークル』に至るさまざまな作品で強調されているように、デジタル情報を信頼できる形で共有しやすくなったため、過剰な情報共有がプライバシーに対する絶え間ない脅威となっている[23]

基本的な問題は、ほとんどの暗号と規制がプライバシーを個人に関するものとして扱っているのに対し、一般に言うプライバシーのほとんどは、集団に関係しているということだ。結局のところ、厳密にひとりの個人にだけ関係する自然発生的なデータはほとんどないのだから。前の部分で見た、データの社会生活の例をいくつか考えてみよう。

・遺伝子データ:遺伝子は当然、家族内でかなり共有されているため、ある個人の遺伝子データを開示すると、その家族に関する情報も明らかになり、その人とかなり遠くても親族関係にある人に関する情報もある程度は明らかになってしまう。遺伝的状態や伝染病に関連するデータなど、多くの医療データでもこれが見られる。

・通信と金融データ:通信と取引は本質的に複数当事者によるものであり、したがって複数の自然な参照先がある。

・位置データ:ほぼあらゆる時点で、人は少なくとも誰かひとりは物理的に近くにいる。だから、その2人は互いの共通する居場所についてどの時点でもわかっている。

・物理データ:誰にとっても個人的なものではないデータも多い(例:土壌、環境、地質)。
 唯一の真に個人的なデータは、意図的に個人を特定するため、IDスキームの一部として作成された、官僚的に作成された識別番号だけだ。そしてこれらでさえ実際には個人だけに関連するものではなく、それを発行する官僚組織との関係と関連している。

つまり、ほぼあらゆる場合に、ある個人がデータを一方的に開示すれば他の個人の正当なプライバシー権益を脅かすことになる[24]。したがって、プライバシーを保護するには、一方的な過剰共有に対する保護が必要となる。一般には、これを外部から強制することは基本的に不可能とされてきた。何かを知っている人は誰でも、その情報を他の人と共有できるからだ。したがって、このための戦略は主に、過剰共有、噂話などに対する規範、何を共有すべきでないかを個人が思い出すのに役立つツール、密かな過剰共有を困難にする試み、および過剰共有に関与した人を事後的に罰する政策に注目してきた。これらはすべて重要な戦略ではある。文献、メディア、および日常の経験は、過剰共有に対する非難と漏洩者に対する強制に満ちている。しかしそれらは暗号で確保される保証には遠く及ばない。それらは詮索者を非難するだけで、暗号のようにシステムから締め出すことはできないからだ。

過剰共有についても、同じことができないだろうか? 一般的なアプローチのひとつは、単純にデータの永続性を回避することだ。Snapchatは消えるメッセージで有名だし、それ以来多くのメッセージングプロトコルが同様のアプローチを採用した。もうひとつの、さらに野心的な暗号化技術は、「指定検証者証明」(DVP[25])だ。これは、ひとりの受信者に対してのみ真正性を証明するが、他のすべての受信者には偽造された可能性があるように見えるのだ[26]。このようなアプローチは、独立検証できない情報に対してしか使えない。誰かがコミュニティパスワードを過剰に共有した場合、意図しない受信者がそのパスワードの有効性をすぐに確認できるため、DVPは役に立たない。

しかしほとんどの種類の情報は、即座の独立した検証はしづらい。宝物を埋めた場所でさえ、追跡して発掘するにはかなりのリソースが必要となる。だからこそ、秘密のお宝をめぐる各種の冒険物語はあれほど面白いのだ。生成基盤モデル(GFM)で説得力のあるインチキがさらに安く作れるようになれば、検証の重要性もそれだけ高まる。そのような世界では、検証を個人レベルに向ける能力と、過度に共有された情報の信頼性の低さに頼るやり方はますます強力になる。だからのぞき見と同じくらい、過剰共有からも、情報をもっと完全に保護しやすくなるかもしれない。

⿻公衆

これらのツールを新世代のネットワーク標準に適切に組み合わせれば、従来の「公開」と「プライバシー」という表面的な区分を超えて、オンラインでの真の自由な団体結社が可能になるかもしれない。通常、公開とプライバシーは1次元のスペクトラムだと思われているが、もうひとつの次元も同じくらい重要であることは容易にわかる。

まず、「ありふれた光景に隠された」情報、つまり無関係な事実の山に埋もれ、誰でも利用できるものの、誰も気づいていない情報を考えよう。絵の中に隠れた縞模様のシャツを着た男性を見つけなければならない、人気のアメリカの子供向けゲーム『ウォーリーをさがせ!』と似ている。これを、約10万人の間で共有されていたものの、世界の他の人々からは厳重に隠されていたマンハッタン計画の秘密と比べよう。どちらも「プライバシー」対「公開」のスペクトラムの中間点に近い位置にある。つまりどちらもかなり広く共有されていると同時に、知られていない。しかし、これらは別のスペクトラムの両極端、つまり集中した共通理解から拡散した利用可能性までのスペクトラムの両端に位置している。

この例を見ると、「プライバシー」と「公開性」だけでは単純すぎて、団体結社の自由の基盤となる共通認識のパターンを説明できないことがわかる。あまりにも単純化した言い方では、検討すべき豊かさを捉えきれないが、より適切なモデルは、これまで「⿻公衆」と呼んできたものだろう。⿻公衆とは、外部から遮断された強力な内部共有信念を持つ多様なコミュニティが共存できるような、情報標準を作成しようとするものだ。これを実現するにはシュレイ・ジャイン、ゾーイ・ヒッツィグ、パメラ・ミシュキンが「コンテキストの信頼性」と呼ぶものを維持せねばならない。このコンテキストの信頼性とは、システムの参加者がコミュニケーションのコンテキストを簡単に確立して保護できるということだ[27]

幸いなことに、近年、プライバシーと公開性の両方のオープン標準技術リーダーの一部が、この問題に注目するようになった。ActivityPubで有名なレマー・ウェバーは、ここ数年間スピリトリーに取り組んでいる。これは、⿻公衆の精神に則り、自治的で強力に接続されたプライベートコミュニティを作成し、個々のユーザーがオープン標準を使ってコミュニティのコンテキストを明確に識別、ナビゲート、分離できるようにするプロジェクトだ。Web3およびブロックチェーンコミュニティの中でも、これらをプライバシー技術、特にZKPと組み合わせる取り組みを行う研究者グループが増えている[28]

この研究によって開かれた最も興味深い可能性のひとつは、共有知識と開示不可能性の組み合わせの保証を定式化して実現するというものだ。たとえば、DVPを使用してコミュニティ集団のメンバー間で分散台帳を作成できる。するとこのコミュニティの共有知識である情報の記録が作成され、この情報(および共有知識としてのステータス)がこのコミュニティの外部では決して共有されないことが保証される。さらに、プロトコル内で「コンセンサス」を決定する手順が、現在よりも高度な投票ルール(たとえば「5–6⿻投票」で説明するようなもの)を使っていれば、現在の台帳よりも豊かで細やかな共有知識を実現できるかもしれない。

さらに、こうした話題を取り巻く分野はすべて、暗号、ブロックチェーン、ActivityPubなどのオープン通信プロトコルなどでの標準化作業が進んでいる。したがって、これらの標準は動的に進化しながらも、いずれは広く受け入れられている「集団」についての技術的な概念に収束し、したがって、オンラインでの集団形成と維持を可能にする、広く遵守される標準にまとまるのではないだろうか。それが実現すれば、デジタル団体/結社の自由の権利を確固たるものにできる。

団体、ID、商業

デジタル団体/結社の自由は、この章で論じる他の自由と密接に関連している。前節で見たように、「プライバシー」はIDシステムの完全性の核心だが、通常のプライバシー議論は、個人主義的な意味でのプライバシーにばかりこだわっている。団体/結社の自由の権利と人格の完全性の権利は切り離せない。人間は、多様な社会集団に絡み合うことで個人としての独自性が生まれるので、その多様性の完全性を守られてこそ、独立した人格が可能になる。そしてもちろん、集団は人々で構成されているため、その逆も成り立つ。明確に表現されたアイデンティティを持つ人々がいなければ、その人々の共有知識で定義される集団は作れない。

さらに、自由な団体/結社の権利は、商取引と契約の基盤でもある。取引は最も単純な形態の団体結社だ。現金の中心的な利点としてプライバシーがしばしば挙げられるが、それをデジタル取引システムで再現するには、どの取引をどのような解像度で誰が見ることができるかを決めねばならない。契約はもっと高度な形態の団体結社であり、法人はそのさらに高度な形態だ。すべては情報の完全性と義務の共通理解に大きく依存する。この意味で、ここで概説した団体/結社の自由と、前の部分で述べたIDとは、これから述べる内容の要となる。


  1. Joseph Licklider, and Robert Taylor, “The Computer as a Communication Device,” Science and Technology, April 1968, https://internetat50.com/references/Licklider\_Taylor\_The-Computer-As-A-Communications-Device.pdf. 〔「コミュニケーション装置としてのコンピュータ」リックライダー, テイラー著, 山形浩生訳, https:// genpaku.org/Licklider/Licklider_Taylor_The-Computer-As-A-Communications-Device_j.pdf〕 ↩︎

  2. https://www.merriam-webster.com/dictionary/association 参照 ↩︎

  3. 日本の哲学者柄谷行人はこの概念を著書『NAM原理』で検討している.柄谷は,個人は地理的な地域だけでなく,関心に基づく「地域」にも所属するのだと論じる.彼はこれを「リゾーム的アソシエーション」と呼び,それを多元的な「地域」で構成されるネットワーク形成として描く.この概念は相互接続された小さく緊密なコミュニティに似ている.柄谷行人『NAM原理』(太田出版, 2000).同年,柄谷はニュー・アソシエーショニスト運動を日本で立ち上げた.これは反資本主義,反国民国家アソシエーションで,地域交換取引システムの実験に啓発されたものだった. ↩︎

  4. その共通知識がまさに,コミュニケーションを最適化すべき文脈の基盤なのだという点をエレガントに定式化したのはZachary Wojowicz, “Context and Communication” (2024) at https://papers.ssrn.com/sol3/papers.cfm?abstract\_id=4765417. ↩︎

  5. Stephen Morris and Hyun Song Shin, “Unique Equilibrium in a Model of Self-Fulfilling Currency Attacks”, American Economic Review 88, no. 3 (1998): 587-597. ↩︎

  6. Ing-Haw Cheng and Alice Hsiaw, “Reporting Sexual Misconduct in the #MeToo Era”, American Economic Review 14, no. 4 (2022): 761-803. ↩︎

  7. Timur Kuran, Private Truth, Public Lies: The Social Consequences of Preference Falsification (Cambridge, MA: Harvard University Press, 1998). ↩︎

  8. Stephen Morris and Hyun Song Shin, “Social Value of Public Information”, American Economic Review 92, no.5 (2002): 1521-1534. ↩︎

  9. ion”, American Economic Review 92, no.5 (2002): 1521-1534. ↩︎

  10. Vitalik Buterin, “The Most Important Scarce Resource is Legitimacy” March 23, 2021 at https://vitalik.eth.limo/general/2021/03/23/legitimacy.html. ↩︎

  11. プラグマティズム政治哲学者リチャード・ローティは「大量の私的クラブで囲まれたバザールをモデルとする世界秩序の構築を促せる」と述べた. Richard Rorty, “On ethnocentrism: A reply to Clifford Geertz” Michigan Quarterly Review 25, no. 3 (1986): 533. ↩︎

  12. George Simmel. “The Sociology of Secrecy and of Secret Societies.” American Journal of Sociology 11, no. 4 (January 1906): 441–98. https://doi.org/10.1086/211418. ↩︎

  13. Eli Pariser, “Musk’s Twitter Will Not Be the Town Square the World Needs”, WIRED October 28, 2022 at https://www.wired.com/story/elon-musk-twitter-town-square/. ↩︎

  14. https://en.wikipedia.org/wiki/Attention\_economy ↩︎

  15. Herbert Simon, Designing Organizations for an Information-Rich World (Baltimore, MD: Johns Hopkins University Press, 1971): pp. 37-52. ↩︎

  16. danah boyd, “Facebook is a utility; utilities get regulated” May 15, 2010 at https://www.zephoria.org/thoughts/archives/2010/05/15/facebook-is-a-utility-utilities-get-regulated.html. ↩︎

  17. Frank McCourt, and Michael Casey, Our Biggest Fight: Reclaiming Liberty, Humanity, and Dignity in the Digital Age, (New York: Crown, 2024). ↩︎

  18. Joseph Y. Halpern and Rafael Pass “A Knowledge-Based Analysis of the Blockchain Protocol” (2017) available at https://arxiv.org/abs/1707.08751. ↩︎

  19. Josh Daniel Cohen Benaloh, Verifiable Secret-Ballot Elections, Yale University Dissertation (1987) at https://www.proquest.com/openview/05248eca4597fec343d8b46cb2bef724/1?pq-origsite=gscholar\&cbl=18750\&diss=y. ↩︎

  20. David Chaum and Hans van Antwerpen, “Undeniable Signatures” Advances in Cryptology – CRYPTO’ 89 Proceedings 435: 212-216 https://link.springer.com/chapter/10.1007/0-387-34805-0\_20. ↩︎

  21. Cynthia Dwork, Frank McSherry, Kobbi Nissim and Adam Smith, “Calibrating Noise to Sensitivity in Private Data Analysis”, Theory of Cryptography (2006): 265-284. ↩︎

  22. Brendan McMahan, Eider Moore, Daniel Ramage, Seth Hampson and Blaise Aguera y Arcas, “Communication-Efficient Learning of Deep Networks from Decentralized Data” Proceedings of the 20th International Conference on Artificial Intelligence and Statistics (2017). ↩︎

  23. danah boyd, It’s Complicated: The Social Lives of Networked Teens (New Haven, CT: Yale University Press, 2014). 〔『つながりっぱなしの日常を生きる ソーシャルメディアが若者にもたらしたもの』ダナ・ボイド著, 野中モモ訳, 草思社, 2014〕. Dave Eggers, The Circle (New York: Knopf, 2013). ↩︎

  24. danah boyd, “Networked Privacy” June 6, 2011 at https://www.danah.org/papers/talks/2011/PDF2011.html. Daron Acemoglu, Ali Makhdoumi, Azarakhsh Malekian and Asu Ozdaglar, “Too Much Data: Prices and Inefficiencies in Data Markets” American Economic Journal: Microeconomics 14, no. 4 (2022): 218-256. Dirk Bergemann, Alessandro Bonatti and Tan Gan, “The Economics of Social Data” The RAND Journal of Economics 53, no. 2 (2022): 263-296. ↩︎

  25. https://en.wikipedia.org/wiki/Designated\_verifier\_signature ↩︎

  26. Markus Jakobsson, Kazue Sako and Russell Impagliazzo, “Designated Verifier Proofs and Their Appliations”, Advances in Cryptology–EUROCRYPT ’96 (1996): 143-154. ↩︎

  27. Shrey Jain, Zoë Hitzig, and Pamela Mishkin, “Contextual Confidence and Generative AI,” ArXiv (New York: Cornell University, November 2, 2023), https://doi.org/10.48550/arxiv.2311.01193. また Shrey Jain, Divya Siddarth and E. Glen Weyl, “Plural Publics” March 20, 2023 from the GETTING-Plurality Research Network at https://gettingplurality.org/2023/03/18/plural-publics/ も参照. ↩︎

  28. Elena Burger, Bryan Chiang, Sonal Chokshi, Eddy Lazzarin, Justin Thaler, and Ali Yahya, “Zero Knowledge Canon, Part 1 & 2,” a16zcrypto, September 16, 2022, https://a16zcrypto.com/posts/article/zero-knowledge-canon/. ↩︎